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25年前




25年前のSMの話。
それなりの歳の人でないと知らないことだと思います。要するに私はそれなりの歳なのですが。
25年前、あるいはその前。
「君はS?それともM?」
という発想はありませんでした。
SMといえば、男は当然S、女は当然Mと考えられるものでした。
SM雑誌でも、男Sものがおよそ9割を占め、後半の方に1つぐらいM男性のための読み物があるという状態でした。
本でもテレビでも、Mの男が登場するまれな機会があると、
「なにこれ、変態」
「きもちわるい」
「信じらんない」
と、笑いものにされ、バカにされるのが常でした。
Mの男という存在そのものが不自然で、社会的に著しく信用を欠く存在とされていたといってもいいでしょう。
Mを公言する勇気を持った男性は、希有な存在だったと思います。
もちろん今でもそうですが、その当時自分のMとしての性癖を堂々と言えた人は、尊敬に値するのではないでしょうか。

今、時代はずっと良くなりましたね。
「おれ、どちらかといえばMかな?」
なんて言っても、
「あら、そう」
ですませてくれますから。
もちろん今でも社会の中では少数派であるという事実は変わりません。
でも、それは未来永劫変わらないのかもしれないかもとも思います。
少数派なりに楽しむスペースと、相手をしてくれる女性がいてくれればそれでいいのだと思います。

それにしても、女性S、男性Mが、昔ほど奇異な目で見られなくなったのはうれしいですね。
社会はいい方向に動きましたね。
女性の地位が上がったのだと思います。また、ネット上でマイノリティーが情報共有するようになったのも大きいのではないでしょうか。

em929.jpg

「痛み」と「苦痛」



新年あけましておめでとうございます。
今年も地味にぼちぼちやっていきますので、よろしくお願いします。

新年最初の話題は、全然新しい年とは関連のないことを。
痛みや苦痛はなんで快感につながるんだろう
ということについてです。
Alt.Sex.Bondageのニュースグループで、昔BDSM入門みたいな企画があって、その中でどうして痛みが快感たり得るのかという記事があったのでそれの訳を引用してみます。

SMを知らない人は、SMプレイで行われる苦痛を伴う行為の魅力が理解できない場合が多いようです。叩かれるのどこが楽しいのでしょうか?あざをつけられて何がうれしいのでしょうか?
(途中略)
 よく用いられる説明として、苦痛を和らげるために脳はエンドルフィンと呼ばれる脳内麻薬物質を生成しているというものがあります。これによりハイな状態になるのです。「ランナーズハイ」といわれる状態は、肉体を酷使することでエンドルフィンが出ることによって生じます。トウガラシを食べた後の快感も同じ原因によります。これこそSMプレイで鞭打たれたりスパンキングされたりすることが楽しい理由なのです。それは苦痛ではなく快感なのです。とりつかれたように練習する運動選手は、こういった化学的な反応を起こすほど体を使うことを楽しむ本質的なマゾヒストと言えます。


この論によると、苦痛によって、それを和らげるために脳内でエンドルフィンが分泌されることによって快感が得られるということです。
なるほどと思います。でも、正直なところ、今ひとつ実感はありません。
私はよく画像にあるような、尻が真っ赤になって血がにじんでいたりするようなハードなむち打ちは受けたことがありません。また、ほとんど本気のすさまじいボール蹴りも受けません。だから、実感がないといっても、それをしている人には実感があることなのかもしれません。そういう人でないと、この論を肯定したり否定したりはできないのでしょう。
私がこの論で疑問に思うのは、「痛み」「苦痛」そのものに対してエンドルフィンが出るのだとしたら、ドアに手を挟んだり、頭をぶつけたりしても快感が得られることになってしまうのではないかということです。神経レベルだけで説明するのはちょっと無理があるのではないかな?と思ってしまいます。
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私個人の考えとしては、苦痛や痛みそのものでなく、苦痛を与えられ、苦しんでいる自分に興奮しているように思います。相手の思うままにされ、一方的にやられているという無力感、屈服感に心がビンビン反応しているのを感じます。だから、痛みと快感は必ずしも比例はしていないと思うのです。
SMプレイは、すごく心理的な要素が大きいのではないでしょうか。認識した状況を、頭の中で快感に変換しているみたいな。
これって、他の人もそう感じていることなのだろうか?それとも、ハードなプレイをしている人は違った感覚なのだろうか?
ウーン、理屈っぽいな。

脳内物質

kras002.jpg

上の2枚の画像
男性のしていることは全然違うけど、
男性の脳の中では、同じように快楽を感じる脳内物質があふれ出していることでしょう。
なんか不思議な気がします。

ミストレスに恥じらいは必要か



ふとこんなことを考えました。
ミストレス、あるいは女王様に「恥じらい」は必要なのだろうか。
と。
もちろんぶりっこみたいにセクシュアルな行為にアレルギーみたいに反応する女性はミストレスとしての魅力はゼロです。

でも、
恥じらいがない女性は魅力的だろうか?
ほとんどの男性は「No」というでしょう。
M男性はどうでしょうか?
ウーン・・・・
○脚からすね毛がけっこう伸びている
○パンティからヘアがはみ出ている
○平気でおならをする
○奴隷の前で平気で着替える
やっぱり想像していくと、ちょっと魅力的とは言えないんじゃないかなという気がしてきます。

でも、同時に逆の事も考えるんです。
恥じらうっていう行為は、弱い立場、受動的な立場の者がする行為ではないかって。
たとえば、S男性は奴隷の前で自分の身だしなみに気を使うだろうか?てなことを考えると、たぶん「基本的にはNo」になるのではないでしょうか。
ミストレスが奴隷にどう見られるかを意識する事自体、受け身ではないのか?という疑問も感じます。たしなみや恥じらいを要求する奴隷ってなんか矛盾アリ、変です。
奴隷が見ていようが見ていまいが平気で着替えるミストレスって、奴隷を対等の存在として見てないようで、すごく支配的だなっていう気もするんですよね。

考えてみると混乱します。どっちもですね~

開放感



プレイしている時って、なんともいえない開放感があります。
もちろんご主人様の前でひれ伏して、命令を受ける立場です。自分の意志を無視されたり、思いもよらぬことを強要されることだってあります。それに何より、涙が出るほどの苦痛が待っているかもしれないのです。開放感よりは、緊張感がまずあるはずです。
それでも、やはり気持ちが解き放たれるような開放感を感じることは多いです。

サブミッシブ(M)の立場に自分をおくと、恥ずかしくてだらしない自分をためらうことなく出すことができます。
何を命じられても、「はい、わかりました。」といって従順に従います。痛かったら無様にうめき声を上げるし、「何でもしますからお許しください」なんていって卑屈に許しを請います。
イヌになれと言われれば、首輪を着けて「ワン」といっておすわりの姿勢をとります。
どんなことをされても言われても、相手と張り合う必要がありません。ただひたすら受け入れて、従えばいいのです。
普段は絶対そんなことはできません。人間として、男としてのプライドがあるし、後でそんな自分に自己嫌悪することは目に見えています。また、周りの軽蔑や嘲笑を受けて、社会生活を送っていく上で、たいへんやっかいなことにもなります。
プレイでは、そういった諸々のものをすべて捨て去ってしまうことができます。

ご主人様の方も、相手を自分の思い通りにできる、そして気兼ねなく自分自身の快楽を満喫できることを「開放感」として楽しんでくれるといいなと思います。


同意



 今年最後のエントリーです。
 このブログは、FemDomといっても、どちらかというと、カップル、夫婦の間でのセクシュアルな女性支配をテーマとしています。だから、SMクラブや、個人女王様によるSMプレイに関することにはほとんど触れていません。さらにこのブログではエキサイティングなプレイのシーンに関する記事があまりないので、国内のFemDomサイトの中でもかなり異端なのかなと思います。
 最近はプライベートでちょっと沈滞気味。そうなると、あんまり翻訳する元気も出ないんですよね。結果的に更新もあまりできませんでした。
 今年は、ちょっと低迷期が続いたかな?来年はどうなることやら。

 最近思うことをひとつ。
 ブログ、Devastating Yet Inconsequential(前回エントリーで紹介)を見ていて強く思いました。
 FemDomに限らず、D/s関係を支えるものは、2者間の「同意」だなと。
 ただし、同意といっても、D/s関係の場合は、より深いレベルでの同意が意味を持ちます。表面的にはご主人様と奴隷がお互い確認しながら事を進めていくのは変です。主人様の意志がいつも通り、奴隷は無理矢理それに従わされるのが自然です。その下の深いところで、そうすることがお互いにとってもっとも楽しいことだから、そうしようという「同意」ができています。
ちょっと、例として、過去に紹介した体験談の中から引用してみます。


 私は、彼が私の大きなおもちゃで私に挿入する間に、すばらしいオルガスムを持っています。サービスは2、3時間も続くかもしれません。夫は、首や手首が痛むとこぼします。
 私が完全に満足してから、彼に私を抱き締めるように求めます。我々は通常疲れ切っています。
 彼のペニスは岩のように固く、そして先端からはしたたりがあります。けれども私はほとんどいつも彼を否定します。もし私が特別いい機嫌で気前がいい時は、足で刺激してやるか、マスターベ-ションすることを許します。しかし、たいていの場合はそれを許しません。
 それは次のような理由からです。 私は、彼がオルガスムを否定されると、一週間ずっとサブミッシブゾーンにとどまることを知ったのです。次の週の間、彼はいとも容易に私の言いなりになります。彼は私に従順で、私は彼を興奮させ、私に仕えることを熱望させることができます。私が彼にオルガスムを与えると、彼はたちまち眠りに落ちます。そして次の日彼はいつもより自己中心的で、そして気難しいです。夫のオルガスムを取り上げることは意味のあることです。



この妻は、自分にとって夫が従順な存在であり続けるよう、夫のオルガスムを拒絶します。夫のM心を刺激しようとしているのではなく、自分の都合のいいように利己的に振る舞っているのです。
夫は哀れです。きっと、オルガスムを許してもらえるよう懇願していることでしょう。
でも、そういう妻の利己的な態度、自分の哀れさが夫を興奮させるということ、お互いにそれを楽しめるということを2人で「同意」しているのです。
寝取られは多くの場合、お互いの固い同意の上での行為です。妻は夫にそれをわざと見せびらかしたり、話したりします。それを夫も興奮するという同意があるからです。でも、妻が浮気をして、そのまま夫と素っ気なくなり、家に寄りつかなくなってしまうようだったら、それは夫にとって、全然楽しくないでしょう。同じ寝取られでも、そういうのはお互いが楽しめるという同意の範囲外にあるものでしょうから。

個人的には、パートナーと、しっかりとしたお互いが楽しめる同意を早く確立したいものだと思っています。
新年の目標かな。

考えないと・・




体験ものなどでよくあるパターンとして、夫が妻にカミングアウト、妻は「あなたがそれで喜ぶのなら」と、寝室で夫を縛ったり、鞭打ったりしてくれるようになります。
しかし、やがて、妻は寝室でのプレイがいやになってやめてしまいます。なぜなら、寝室では、妻の前にひざまずき、支配される奴隷となる夫が、終わったとたんに、怠惰でふんぞり返り、家事は皆妻にやらせる男に戻ってしまうことにしらけ、嫌気がさしてしまうのです。
結果として、こういうFemDomはうまくいかないことが多いです。
これは男の側が考えないと・・・

でも、女性の側の問題で関係が崩れるパターンもあります。
あるご夫婦は夫の希望を妻が容れる形で、寝室での女性支配の関係が始まりました。
お互いがプレイを楽しみつつ、互いの気持ちを尊重し合いながらうまくやってきました。
でも、妻は、やがて、もっと矛盾のない24/7の関係を望むようになりました。つまり、寝室の中も、日常生活も関係なく、常時夫は妻に服従し続ける関係です。
やがて2人の同意の上で、24/7の関係は始まりました。
家事の大半は夫に課され、性行為は妻が望んだときだけ、すべては妻の意志を中心に生活が回り出しました。
こういう体験談はいくらでもあります。
しかし、数ヶ月後、2人の関係は壊れました。
夫が妻に対して、関係の解消を申し出たのです。
理由は、夫を支配する妻があまりにも多忙で、夫のことを顧みなかったからです。
24/7の関係ですから、夫は妻に命じられた仕事をするのは当然です。それは契約として決められたことです。しかし、命じられた家事をやることは、夫にとって、妻の力に支配され、服従している自分を感じ、それが興奮につながるのです。だから、同じ家事をやるのでも、一度「お願いね」といわれてそれきりになって、あとは忙しく自分の仕事をこなしているだけでは、夫の方がサブミッシブとしての自分を感じることができなくなってしまいます。夫の心の「サブミッシブのエネルギー」が切れてしまったのですね。
夫に家事をやらせたら、1人くつろいでいる姿をわざと見せつけたり、夫の仕事の至らない部分を見つけて叱責したりといったことが、夫のサブミッシブとしての気持ちを満たすことになるのです。
その、いわば「メンテナンス」を怠ってしまったのですね。
この、メンテナンスに気を配っているミストレスの奴隷は、たいてい過酷にこき使われながら、すごく幸せそうにしています。

やっぱり、お互い相手のことをよく考えないといけないということでしょうか・・・

けがをして


ちょっとけがをしてしまって、日常生活ではなかなか不便しています。
行動範囲が狭まってしまって、気持ちも委縮してしまった感じです。

ところで、けがをしてふと考えたことがあります。
このけがの痛いところを女王様にグリグリ責められたりしたらと想像すると・・・・うーん、全然楽しくない。
意地悪なことされて、いやなことをされて、いたぶられるのはそれだけで興奮するし、痛みもそれなりに快感です。でも、けがをしたところを責められるのはいやです。
病院の治療で痛い思いをしても、ぜんぜん楽しくもうれしくもないし。
当たり前のようで、これはとても不思議な気がします。なんで痛みと被虐的状況を、性的興奮の伴うものと伴わないものと、より分けてしまうのだろうか?すごく不自然な好き嫌いをしているようにも思えてきます。痛いことや不快なことはすべていや・・・これが自然。
やっぱり自分の中のマゾヒスティックな感情は奇妙で不可解です。

こんなことを考えながらも、責められる自分に興奮してしまうことには変わらないのですが・・・

FemDomカップルの心理




はじめにお断りしておきます。今回は理屈っぽいです。

あるFemDomのカップルが、スパンキングを行っているとします。もちろん、叩くのは女性で、叩かれるのは男性です。
女性は相手に攻撃を加えることに興奮を覚え、男性は自分が攻撃されることに性的興奮を覚える・・・SMプレイはそのように考えられますが、実際は、そう単純ではありません。SMは、相互作用であり、相手との関係が常に重要な要素です。
女性は相手が苦しんでいるのが楽しい。しかし、相手を殺したり、不幸にしたいと望んでいるわけではない。むしろ、相手がそれを望み、満足しているからこそ、安心して心いくまで相手を攻撃できるのです。
パートナーをこっぴどくやっつけようとしながら、その心の奥では、パートナーを満たしてやろうという気持ちが働いているのです。
いわば、ミストレスの女性の心理は、表層、深層の二重構造だと言えるのです。
一方のM男性の方も、同様、いや、もっと複雑です。
厳しいスパンキングに、尻は真っ赤、熱く燃えるように痛みます。
「お願いします。もうお許しください。」
必死に懇願します。ほとんどの場合、これは本気ですね。
しかし、心の奥の方では、責められている、いじめられている自分にすごく興奮しているのです。
自分が苦しんでいる状況を肯定しているのです。自分をひどくいじめて、苦しめてくださいといっています。
そして、その奥には、さらに違った意識が存在します。
それは、「性的に満たされたい、満足したい」という意識です。
13g.jpg


スパンキングでなく、貞操器具によるオルガスム剥奪の例で考えると、男性の三層構造の心理がよくわかります。
貞操器具にロックされて・・・・つらい、「お願いします。出させてください。何でもします。」という行動。(第一層)
でも、貞操を支配され、思い通りの奴隷にされていく自分に興奮している。(第二層)
性的に満たされたい・・・今は、射精という物理的要素よりも、支配されているとい精神的要素に、より興奮している自分がいる。(第三層)

この第二層と第三層が自分の中でけんかすると、あるいはぎくしゃくすると、Mをやっていてつらくなってきます。

深層にあるものが表層に出てきてしまうと、満足できないものです。奴隷を思うミストレスが愛を込めてフェラチオしてあげたとしたら、奴隷は逆に醒めてしまうでしょう。ミストレスは奴隷を愛するが故に意地悪く、冷酷無情になります。それに奴隷が満たされるのですから。
時に、奴隷は満足を剥奪されることで満足するということすらあります。
やっぱり矛盾をかかえてますね。


ボンテージは誰のため?



私の中で、少し前から、ある疑問があります。たいした疑問ではないのですが。

その疑問とは、
「セクシーなボンテージやランジェリーに身を包むミストレスは、それを装うことが楽しいのだろうか?それとも、奴隷へのサービスという気持ちが働くのだろうか。」
ということです。

プロのドミナトリックス(いわゆる女王様)は、おそらく後者でしょう。M男のファンタジーを満たすために、M男をより興奮させるような衣装に身を包むのでしょうね。
ただ、プロではないS女性はどうなのでしょうか。

攻撃的な雰囲気を持ったウェアを身にまとうことで、自分自身、気分が高まるのかもしれません。自分がなりきることでより興奮するということもあるのでしょうか。
だとしたら、身につけるもの次第で、その女性自身、プレイがより楽しくなったり、性的興奮が強まったりということもあるのだろうか・・・ということを考えてしまうのです。

あるいは逆に、セクシーで攻撃的な衣装で、パートナーの男性を興奮させ、その気にさせることが楽しいと感じるのか、つまり、自分自身よりもパートナーに見せることを意識しているのかということです。
女性は相手に見せる、見られるという意識がより強いと思います。だから、ミストレスの身につけるウェアも、そういう要素が強いのかなという気もするのです。そもそも男性の場合は、責める側はそれらしい衣装を身につけていることはそれほど多くない気がします。むしろどうでもいいといった感じで無頓着なものが多いように思えるのです。

体験談などを見てみると、夫を厳しく支配する妻が、夫を鞭打つ時、わざわざセクシーなボンテージに着替えてくるといったものもあります。おそらく多分に、愛する夫へのサービスといった意識があるのではないかと感じました。
けっこう着替えるのってめんどくさいし大変だと思うのです。

きっと、女性の側の気持ちとしては、自分はどちらかといった単純なものではないのかもしれません。
でも、どんな気持ちかな?なんて考えてしまうのです。
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Author:kaisub
既婚のサブミッシブ(M)男性です。

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