もうずいぶん前のことになりますが、あるテレビ番組で、元スピードスケート選手で金メダリストの清水宏保さんが、「スピードスケートのアスリートはみんなドMです。」と言っていました。
ものすごいトレーニングで自分の体をいじめ抜くんだそうです。だからドMだということでした。
私の感想・・・それは違うな。
それはMとは似て非なるものです。自ら被虐を求めるということは同じです。でも、決定的な違いがあります。
苦しいことが快感といっても、それがセクシュアルな快感と結びついたものではなければMではないでしょう。それは必ずしもその場で勃起しているかどうかということではありません。たとえば貞操器具で勃起を完全に押さえ込まれてしまっている人は勃起はしません。できないのです。それでも、心の中で感じているものは性的興奮のよじれたものです。
清水さんが言う快感は、長距離選手が苦しいのに走り続けていると気持ちよくなってくるという「ランナーズハイ」と同じ種類のものでしょう。
苦しい、痛いことをよくされたりとか、よくやられる、いじられる人をすぐに「M」といいますが、多くは本当はMではないと、私は思っています。
鞭打たれて快感なのは、鞭打たれる状況、無力な立場の自分を、これでもかこれでもかと思いしらされることに感じているのではないでしょうか。つまり、肉体的苦痛が、自分の中で心理的苦痛、屈辱に変換されて興奮しているのがマゾヒストなのではないかと私は思います。
だから、ドアに指を挟んだり、転んで膝を打って痛い思いをしても興奮することはありません。偶然股間を打っても痛いとは思っても、勃起することはありません。
職場で上司に叱られても頭には来ても快感とは思いません。でも、それが女性の上司だったとしたら、そこに何らかのセクシュアルな想像が入り込み、ちょっぴり興奮してしまうかもしれませんね。