この体験談は、「所有物」というのがひとつのキーワードになっています。
この男性は、何よりも、自分が「所有物」であることに興奮しているように思います。自分が誰かの所有物であるというのは、この上ない無力感を感じるものです。それがいいのでしょうね。
私は妻に支配され、妻の所有物となっている夫です。私は、彼女を愛し、尊敬していますが、同様に、恐れ、おののいてもいます。
結婚前、彼女は私の結婚生活における地位を明確に規定しました。私は完全に彼女の定めたやり方に従わねばなりません。
彼女は、初めに1年間、私をトレーニングして、そして、次に1ヶ月間私を自由にさせました。彼女にすべてをゆだねる心の準備をさせたのです。
私は今、e-mail を書く、若干の自由を持っています。しかし彼女はいつでも私のe-mailへのアクセスを持っていて、そして私が書くものを見ることができます。もしも私が彼女が許可していないエリアをのぞいたりすると、厳重に罰せられます。
これは私にとって楽しいことではありません。しかし私は自分で自身を監視しなければなりません。彼女は私の監視をいつも続ける時間はありませんから。 時々私は彼女のところに行って、そして私が悪いことをしたかどうか尋ねます。そして彼女は私に、私が悪かったかどうか、そして私を許すかどうかを言い渡します。
私たちは大学時代に出会いました - 彼女は2歳年上でした- そして、その時、彼女は私の体を奪ったのです。
出会った初めに、彼女はセックスの魅力を使って、私を虜にしてしまいました。(その時、私はまだバージンだったのです)その後、彼女はどんどん私をサブミッシブに育てていきました。最後には、彼女の惨めな奴隷になってしまいました。
我々のセックスライフは主に、彼女の歓びと満足のためのもので、彼女がその気になったときだけ、私に喜びを施してくれます。 いつも私の頭の中は彼女のことでいっぱいになってしまっています。 私たちは結婚前に同居したので、彼女は易々と私を思い通りにしていきました。
私たちが結婚したとき、彼女に我々の生活のすべての完全な決定権、支配権を与える契約に、私はサインしました。(我々の財政、家、など、彼女の所有になります)
私の給料は彼女に引き渡されました。そして彼女は楽しみではなく、移動と食事が行えるだけの手当を私に与えました。 彼女は、投資と法律に長け、天才的です。私の給料は適切にに、上手に使われます。 彼女は私に服を着せて、私が何を食べて、そして飲むかを決めます。そして、彼女の思い通り、私は彼女の下働き、従者、そして恋人として仕えます。
結婚契約と許可証は、そのまま夫を妻の奴隷にしました。夫が妻に拘束されることが合法となり、彼女がそれを適用して所有権を持つことになるからです。 私たちの結婚式、それにその夜のベッドでの新婚の契りの中で、私は自分の無力さ、そして彼女の奴隷夫として生きていくことを実感しました。
私の愛する妻は、数年前にブルホイップを買い、私に使っています。これは私も興味を持ちました。
私たちには、このライフスタイルを持つ別なカップルの知り合いがいます。 彼は革職人で、私の妻に合わせた仕様のブルホイップを作ることを申し出ました。そして、それは恐ろしい武器になりました。 それは私に強烈な痛みをもたらすものであり、それについて妻が楽しげに話しているのを聞くのは、私には愉快ではありません。
ブルホイップの叩き初めは、私たちの友人の厩舎で行われました。私は手首を縛られて吊され、足も縛られました。
これは、彼女が望んだことは何でも私にできるということを、私に思い知らせるために行ったに違いありません。私は彼女の夫であり、そして彼女の所有物です。 私の体は彼女のもので、彼女が自由に扱えるものなのです。
私たちのつきあっている友人たちが、座って、そして見守る前で、私を辱めるために妻は私を打ち据えました。 妻はまんべんなく打つために、私に体を回転させることまで要求してきました。 私はその日、本当に涙を流してしまいましたが、ほとんど泣き叫ぶことはせずにすみました。
私は、私の妻のトレーニング摂生のおかげで、頑丈な、筋骨たくましい男性です。 私の妻は同様に、ある程度ボディービルで鍛えており、彼女の肩、背中、そして腕、すべて非常に筋肉が付いていて、しかしそれでも非常に女性的な体です。
私は彼女を敬愛して、そして彼女に私の舌でお仕えすることになっているとき、これは私にとって、素晴らしいスリルです。
彼女は常に革ひも、クロップと、もっとも恐ろしいトウを用意しています。私が奉仕で粗相をすると、尻に厳しくお仕置きをされます。甚だしい無礼があったときなど、本気でCBT(男性器への懲戒)をします。
今はそんなことはなくなりました。でも、私は彼女の所有物なのです。
Female Dominationの、心理的な歓びに満ちた体験談だと思います。
ここまで純粋に精神的要素にすべてを捧げるというのも、ある意味、すごく「変態」といえるのではないでしょうか。