今日はちょっと重いことを書きます。
最近思ったこと。
大阪で悲惨な事件が起こりました。2人の中学生が男に拉致され、無残に殺されました。動機はまだはっきりとはしていないようですが、どうやら猟奇的な殺人事件のように思われます。
猟奇的な殺人事件は昔から何度も繰り返し起こっては、その都度社会に衝撃を与えています。特に幼女の連続殺人事件には胸が痛みます。営利目的や怨恨などの原因が考えられないこのような犯行を行うのは、多くの場合、異常な性欲を持つ、性的な変質者です。犯罪に関する本を読むと、様々なこうした事例が記されています。女性を殺して、その死体とセックスする変質者もいました。次々とサディスティックな方法で人を苦しめながら殺しては、それを夜思い出してマスターベーションにふけるという残忍なサディズムを持った犯人もいました。または成人ではなく幼い少女を陵辱することで興奮する変質者も。
彼らは生まれつきなのか、後天的なものなのか、とにかく異常性欲を持つ者です。それを自分の中のファンタジーで抑えきれなくなってしまい、それを行動に移してしまったのです。言い方を換えるなら、残忍な犯行に及んだのです。もしも彼らがごく普通のノーマルな性欲を持っていたなら、ファンタジーが抑えられなくたって、普通に彼女を作っていちゃいちゃ楽しめたかもしれません。または、風俗で抜くことだってできたでしょう。でも、彼らが自分の中に持っていたものは、絶対社会とは相容れない、社会からは受け入れられないものです。
そう考えると、加害者、犯人もまた哀れな悲しい存在に思えます。
彼らは悲しい「変態性欲者」だといえるでしょう。
ある意味、自分との共通項を感じます。自分も「サブミッシブ」「マゾヒスト」というノーマルでない性欲を持った者です。変態性欲者であることには変わりはありません。
でも、自分の中のファンタジーを抑えきれなくなったとしても、それを行動化したとしても、社会の中で害をなす存在になることはありません。他人のあざけりを受けることはあっても、少なくとも犯罪者となり、他人を傷つけ、悲しませることはありえません。
自分は変態であっても、まだ幸せだったのかもしれないと思います。
これって、なにかすべての人が、神様の手から1枚ずつカードを引いているような気がしてきます。そのカードは、「ごくノーマル」とか「ロリコン」とか、「年増好き」とか、「ゲイ」とか、「マゾ」とか書いてあって、それがその人の性的嗜好を決定づけるカードになってしまう。そんな中でも「屍姦」とか、「極度のサディズム」とかは最悪のカードでしょう。彼らはそんなカードを引いてしまったのではないでしょうか。
被害者や家族の気持ちを想像すると、暗澹たる気持ちになります。自分だったら気が狂ってしまうのではないかとすら考えます。でも、同時に加害者にも同情を感じてしまう自分がいます。
かつて、自分の性癖に悩みました。普通のセックスにあまり興奮できない自分を悲しく感じました。でも、なぜか性的にもわりかし満たされて、家族と普通に社会生活を営めています。
自分の引いたカードはそう悪くないカードだったのかも・・・
自分はまだ幸せな変態なのかな?と思います。