久々に体験談を訳してみました。なかなか興奮しました・・・・が
まあ、お読みください。
ギャンブルSから:
親愛なるミストレスエリス、これは実際に私に起こったことです。
私はずっと女性によって支配されることに興味を持っていました。
私は地元のロックンロールパーティでティナに会いました。見たところでは彼女はD / s関係について何も知りませんでした。
私は彼女が本当に好きになってしまい、そして彼女と外でつきあうようになりました。 長い求愛の後に私たちは結婚しました。
我々の結婚の最初の15年間、セックスはすばらしかったです。
私は40を少し越え、そしてティナは38歳の時でした。昔の支配されたいという熱望が私の中で再び起こりました。私は私のサブミッシブの願望をティナに告げました。そして彼女に私を縛ってくれるよう頼みました。彼女は、私が気がおかしいのだと思い、拒絶しました。
次の年からは、私はFemDomサイトやaltair boy 、lock me upなどの男性貞操のサイトを見て満足していました。そしてティナが私の生殖器を閉じ込めて彼女の支配下に置いてしまうことを夢見ました。私はそんなことが実際に起きるとは思っていませんでした。
私が縛ってほしいとティナにお願いした時からおよそ2年たったある日、だしぬけに彼女は私に、まだ縛ってほしいと思っているかと尋ねました。
私は大喜びでした。もちろん私は「はい。」と、言いました。
ティナは私に、縛ってほしいなら裸になるように言いました。私は素早く衣服を脱ぎました。
ティナは何通りかの長さのロープを取り出し、私を身動きとれないように縛り上げました。私は、ティナがまだ慣れていないので、逃げようと思えばロープをすり抜けることもできるだろうと思っていました。私の心を読むかのように、ティナは後ろさがると、私に言いました。「逃げられないようにしてやったわ。」
ティナはそれから私に、この状態からすり抜けるか、さもなければ朝までこのままでいることになると言いました。今だいたい午後10時なので、およそ10時間このままでいることになります。
私は素早く抜けることができるだろうと思っていました。私はなんと甘かったことでしょう。
最初の数時間が面白かったです。その後私は苦しくなってきました。私がいくらもがいても1つの結び目を緩めることさえできませんでした。
朝、ティナは私を解放しました。私の体はあちこちひどく痛み、風呂に入りました。その後、私たちはそれはもうすばらしいセックスをしました。今まで経験したことがないほどすてきなものでした。
彼女は、私が求めたときはいつでも縛ってあげると言ってくれました。しかし、毎回、8時間は逃げられないのが常でした。
我々のボンデージは、4週あるいは5週に1回ぐらいの間隔で、1つのセッションのパターンに発展しました。私を縛るティナの縛り方は数限りなく種類があるように思われました。私は2度と同じ姿勢で縛られることはありませんでした。でも、縛られるたびに厳しくつらいものになっていきました。
ある日、ティナは私をベッドに大の字に縛り付けました。
それから彼女は箱を持ってきました。そして彼女はそれを懸命に開けました。私は最初、彼女が取り出したものを金属でできたサポーターだと思いました。
彼女は私のペニスにきついチューブをはめると、チューブをベルトのカップ部分に挿入しました。そして私の体の上にそれをロックしました。
それからティナは、少し離れると、彼女はコンピュータで私が見ていた貞操サイトを見たと言いました。
彼女は私がAccess Deniedの貞操器具にロックされたことを告げました。彼女はそれがもっともよい貞操器具だと判断したのだと言いました。
ティナはそれから私に契約書を手渡して、そして私に、2つの選択権を持っていると言いました。私が契約書に署名して、そしてベルトをはめることにするか、あるいは彼女が私と離婚するかのどちらかです。
ティナは私が心を決めるために1時間待つと言いました。
お知らせしておきますが、私とティナはともに高収入の仕事を持っており、きわめて質素な生活をしていました。私たちは非常に裕福でした。
私は契約書を読みました。そして基本的に、私がすべての家の仕事をして、そして私がそれを成し遂げたときだけ、貞操ベルトから解放されるとありました。
私はサインするとティナにすべてをゆだねることになるでしょう。私がベルトをしている間に、もし彼女が望んだなら、ティナは自由にもう1人の女性を彼女の恋人として連れてくることがゆるされます。
私には選択権なんてありませんでした。私はずっとこれを欲していたのです。そして今私はそれを手に入れたのです。
私は署名しました。
数日のうちにティナは法律上の問題を処理しました。今や私はすべての所有権を放棄し、そしてティナに虐げられる奴隷となることに同意していました。
最初の年、ティナはほぼ月に1回最初私に救済を許しました。それから私の軽減の期間は間隔が開き、そしてどんどん少なくなりました。それは2カ月ごと、そして次に3カ月ごとになりました。もちろん私は彼女が望むままにオーラルセックスをティナに提供し、そして貞操ベルトに装着したdildo で彼女を喜ばせなければなりませんでした。
私は、もう少し頻繁にベルトから出してもらえないかとティナに尋ねました。
彼女は私に、彼女は私を閉じ込め、支配することで彼女が大きなパワーを感じることが楽しいのだと言いました。
およそ1年半後、ティナは私を縛り上げ、ベッドの下の床に転がしました。
そのあと、話し声が聞こえてきました。ティナは私に言いました。
「スーザンに挨拶しなさい。スーザンと私は恋人になるのよ。これからおまえは私たち二人に仕えなさい。スーザンがおまえに命令するとき、私の命令と同じだと思って聞くのよ。私は昼間に仕事に行くけど、スーザンは夜働いているの。おまえはどちらかにいつも仕えることになるのよ。」
さらに続けました。
「あとね、スーザンは、もしおまえの前立腺で液を絞り出すことができたらもうクライマックスを持つ必要がないと言ってるわ。これからは私たちで楽しむからね。もうおまえはセックスなしよ。」
だいたい9週ごとに彼女たちは私の前立腺を刺激し、精液を絞り出します。彼女たちはそれをするとき、私の腿に電気ショックを与えます。
私はセックスなしにされてしまったことがつらいです。しかし同時に私はそれが好きです。
私は2人の美しい女性にせっかんされる奴隷であることに勝る幸せはないと思っています。訳して感じたのは、これってもしかしたら「ネタ」かもということです。あるいは話を膨らませているかもとも感じます。
ちょっと話ができすぎている気がするのです。
体験談の中には結構そういうものもあるのではないかなと思います。体験談のあとにエリスサットン女史がコメントを書くのですが、たまに妙に素っ気ないコメントがあります。そういう時って彼女はきっとしらけているのでしょうね。
この体験談は、もしかしたらネタかもと思って割り切って読んでも、私としてはなかなかに楽しめました。
最後の、「つらいけど同時にそれが好きだ」というあたり、気持ちがすごくよくわかります。