ひとつの体験談ですが、ちょっとレアなのは、奥さんの方がFemDomを夫に紹介したという所。
ある妻が少しずつ、少しずつ夫を自分の奴隷として調教していく体験談です。
まさに「ステップバイステップ」という感じ。
長くて途中までで根気が尽きました。
全体を読んでいくと、「う~ん」と思うような部分もあります。ちょっとできすぎているような気がして。
たぶん実際の体験談に幾分脚色がされているのではないかと思います。
私の妻フィオナは、私が彼女に出会ってまもなく、私にFemDom を紹介しました。
私はそれまでおおよそセクシュアルなことに無縁でした。私はスポーツに夢中な少年でした。そして、18歳になって初めてデートをしたのでした。私は大学で何人かのガールフレンドと付き合いました。しかしそれはすべて陸上競技の二の次でした。
私が22歳のとき、私はパーティーでフィオナに出会って、そしてすぐに彼女に心を奪われました。
私たちは、ごく普通にデートしました。しかし数週間たったころ、彼女は私にちょっと奇妙なことを要求するようになりました。彼女は私を縛り付けて、そして私に目隠しをし始めたのです。私はそれが信じられないほどエキサイティングな事に気づきました。そして、私は彼女の足にキスするように言われ、まもなく彼女の全身への崇拝、奉仕が始まりました。
そして、彼女は私がどんな要求でも断れないことを確信し出しました。
やがて週末は2人で過ごすようになり、フィオナはいろいろな新しい方法で私を責め、支配する実験を楽しむようになりました。
私たちは2000年大晦日に結婚しました。 私の側は父親と友人2人だけが出席したささやかな式でした。
私は、「(フィオナを)愛し、尊敬し、言葉に従います」という誓いの言葉を述べました。
それはフェミニスト結婚でした。そして、私が私の姓をフィオナの姓にに変えたとき、何人かの人は眉を上げました。それは珍しいことです。しかし誰かがなぜかと尋ねたときは、私は前例がないわけではないと言いました。フィオナはそれを結婚する条件として要求していました。そして私は何よりもフィオナと結婚したかったのです。私の姓を彼女のものに変えることなど、安い代価でした。
私たちは、フィオナが国際的な不動産業におけるマネージャーの地位を約束された西海岸に引っ越しました。私は陸上競技に集中して、そして家庭の世話をするつもりでした。
私たちが結婚するまで、フィオナによる私の支配はとても楽しいものでした。
結婚してからは、彼女の支配はずっと本格的なものになってきました。
セックスはほとんどなくなりました。通常の夜のセックスは、形を変えていきました。 私は決して彼女の上になることはなくなり、ひたすらフィオナへの口唇奉仕に明け暮れました。私のニーズは無関係でした。
フィオナの満足だけが最大限に満たされました。そして私はそれに同意しました。私は彼女がベッドで満足してくれることを切に願いました。それを重要なことだと考えました。
しかし、私にも救済が必要でした。
私のリリースは自慰をすることで得られました。私は、彼女に見られている前で、私自身の体の上に私自身のものを噴き出しました。 彼女は私の屈辱を楽しみました。
さらには、彼女は私に彼女の前にひざまずかせ、彼女の足の上に(精液を)憤出させました。そして、私にそれをなめてきれいにすることを命じました。私は彼女が冗談を言っているのかと思いました。しかし彼女がそうではなかったと知り、舐め取りました。私の屈服は次のステージへと入っていきました。
次の2年間の私たちの生活は満たされたものでした。
私たちは新しい家を持ち、さらに必要な事をこなすために忙しかったです。
心の中のただひとつの黒い雲は私のキャリアに関することでした。私はすでに29歳になっており、この年のオリンピックに出場できないことは明白でした。
フィオナは最初私を支援してくれました。しかし時間が経ち、私が仕事に就こうと職探しを始めようとすると、フィオナは私がフルタイムで家で家事をするということを決めてしまいました。 彼女には私たち二人の生活を支えるのに十分な収入があったのです。
それは私が望んだことではありませんでした。しかし私の望みは二の次でした。
私は彼女を支え、彼女のすべての欲求に気を配る良い男になる決心をしました。彼女は家事はあまり好きではありませんでした。そして、私はそれをあまり苦にしませんでした。
彼女は私を彼女のかわいいメイドと呼び始めました。最初、私はそれをいまいましく感じました。しかし、彼女は巧妙に、彼女のメイドになることはとても重要なことで、大事な仕事なのだと私に信じさせていきました。
徐々に、彼女は私の男らしさを奪い始めました。
これは彼女の私への支配の次の段階でした。
彼女は私に、私のすべての体髪を剃ることを命じました。私はそれほど毛深い男ではありません。しかし私のすべての体毛を取り去るのに驚くほど長い時間がかかりました。私は最近はクリームを使います。しかしその最初の時に私はかみそりを使いました。
これは、ある意味シンボリックな行為だと思います。私は自分の男らしさが落ちて流されていったように感じました。
私は彼女の前に立ち、体を見せました。彼女は私の体を点検しました。 私はきちんとできていました。完全に無毛になっていました。彼女は感心し、ご褒美だといって、私に一着の白いサテンのパンティを手渡し、それを穿くようにいいました。これは私の女性化の第一歩でした。
次の数週間にわたって、私のすべての下着はレースと絹のものに取り替えられました。
この段階で、私の妻のもう1つの変化は、私へのトレーニングに本腰を入れだしたことです。
このころ私は彼女の要求の若干に抵抗し始めました。そしてある夜彼女は私の態度にうんざりして、そして徹底的に私の抵抗を打ち破ることに決めました。彼女はすでに乗馬むちを買って手に入れていました。そして彼女は私にそれを使う方法を会得していました。 彼女は日常の中で、私にむち打ちを与えました。私は30発のむち打ちを受けました。 私はすすり泣きながら、彼女にやめてくれるよう懇願し、やっとやめてくれました。
でもそのあとは、彼女は私に何が悪かったのか優しく語りかけてくれました。最後はとても優しい感じで終わったのです。私は私の罰を受け入れました。それはたくさんの鞭打ちの最初のものでした。2ヵ月にわたって、フィオナは私をブレークして、そして私をしつけ直しました。
ある夜彼女は私に、ひざを折って彼女に会釈すること(行儀の良い女性のお辞儀)を命じました。何度も何度も、繰り返し、私がそれを正しくできるようになるまで、厳しい言葉を投げつけられ、やらされました。最後には私は目に涙を浮かべいてました。でもセッションの最後は、フィオナは愛情を込めて私を慰めてくれました。しかし繰り返す何度ものセッションを通じて彼女は私をより深い服従の中にぐいぐいと追い込んでいきました。
次に行われたことは、ズボンとTシャツの代わりに女性の衣類、スカートとブラの着用の強制でした。それは私には辛いものでしたが、しかしゆっくりと私はフィオナの要求を受け入れました。
彼女は私に微妙なメイクの仕方とマニキュアの塗り方を教えました。私は髪を伸ばしました。そしてある夜フィオナは私の濃い茶色の髪をブロンドに染め変えました。鏡の中のピエロは、フィオナが望んだ私の姿でした。
彼女は私の中の男性を奪い去りました。そして最後のむち打ちが、私に、彼女が作った新しい人格を受け入れさせました。
私は彼女のメイドです。私は彼女のすべての必要を満たすための世話をします。私のミストレスのためにいくら尽くしても十分ではありません。私はそう信じています。私が目を覚ます最初の瞬間から私が眠りにおちるまで、彼女は私の世界の中心です。
まもなく私のトレーニングは次の段階に入りました。
数カ月前に、フィオナは初めて私にディルドーを使いました。私が彼女がするすべてを受け入れてきたように、私はそれを受け入れました。
私はこのような美しい女性にファックしてもらえて幸せです。そして彼女も、彼女が思っていた以上にこのセッションを楽しみました。正直言って私は再び彼女と親密になれてうれしかったです。
彼女は最初小さいもので私を訓練しました。そして私たちのセッションでは徐々に大きなものを使うようになっていきました。最後には赤ん坊の腕ほどもある12インチの「ビッグ・リッツィー」を挿入するまでになりました。そして、今ではもっぱらこれしか使わなくなりました。今、セックスはフィオナがビッグ・リッツィーで私を突きまくるのです。
彼女が私をたっぷり犯したあと、彼女は私の上から下りるか、さもなくばそのまま(私の顔に跨がり)彼女がオルガスムを得るまで私に口唇奉仕をさせます。そんなあとはいっそうひどくやられたような気分になります。
私は挿入された体験談をいくつも読みました。すべて書かれている通りだと思いました。
私たちが「通常の」セックスを持っていたとき、私は(腰を打ち付ける)「バン」という音を楽しみました。今はフィオナがそれをしています。ひと突きごとに、私は彼女の下で深く深く落ちていく思いがします。
彼女の大好きな体位は、私が仰向けに寝て、彼女が私の脚を肩まで持ち上げて挿入する形です。彼女は私をファックしながら「ふしだらな女の子」と私をからかいます。