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気前のよい女王様


 
ミストレスに射精管理をされて、欲求不満を抱えて悶々とする-こんな体験談、あるいはストーリーが結構あります。FemDomプレイの定番のひとつですね。
ところが、その逆のプレイの体験談を見つけました。
たくさん出させてくれるんですね。なんて優しく、親切な女王様なんでしょう!
 
 
 
私のガールフレンドが好むゲームをひとつ(同じくらい私も好きなのですが) ・・・
 
彼女は、上向きに、私を大の字に縛り付けました。 彼女はそれから私のコックとボールを弄び始めます。..優しく撫でて、しごいて、舐めて、そして軽く噛んで。 私をすごーくいい気持ちにさせて、オルガスムぎりぎりのところまで来させておいて、そして、私を抱きしめます。
 
およそ30分、私をぎりぎりの状態にさせておいて、彼女は聞きます。
「ねえ、何回イキたいの?」
彼女は、穏やかに私のコックを撫でて、微笑して、そこに座ったまま、私の答えを待っています。 私はたいてい
「2度です、女王様。」
と答えます。 すると彼女は、不満足げに首を振って、脈動する私のコックをしごき続けます。
「もし来週もイカせてほしいのなら、もっと多くじゃなくちゃね。」.
私は唇をかんで、そして返答します。
「どうか女王様、今夜、3回イカせてください。」.
彼女は微笑して、そして
「たった3回なの?」
と、言います。 彼女は、私のものをしごく手をより速く、強くします。そして、彼女の奥の手、彼女の柔らかい髪を私のものの上にそっとたらします。 彼女はにっこり笑って、そして彼女の髪の毛と共に、私の股、そしてボールを愛撫します。そして、私のコックをもそうやって愛撫して言うのです。
「ベイビー、さあ、私にお願いするのよ。5回イカせてくださいって。そうすればかなえてあげるから。」

およそ5分間、彼女の髪にコックとボールを愛撫され、焦らされ続け、ついに私は屈服しました。そんなに耐えられないときもあります。 彼女は私に、繰り返し、お願いをさせました。
 
およそ15分許しを請うた末、ついに私はイカせてもらえました。
私がイッたあとで、彼女はなおもしごき続けました。(驚くべきことに)彼女は30分間、私を休ませてくれました。
そして、また私を刺激して、ぎりぎりのところまで追いつめました。ほどなく、2度目のオルガスム、発射と相成りました。 
彼女はその夜、さらにもう3回出させました。
3回目にイッた後は、彼女にさわられて刺激を受けるたびに身をよじりました。
4度目と5度目のオルガスムは気が狂いそうなほど痛くて苦しかったです。しかし...これは私が心の中で望んでいたことです。
 
 
これはかなり苦しいと思います。立つんだろうか?
「Ma'am」という単語が出てくるので、辞書で引きました。すると、「奥様、お嬢様、先生、女王様」といった感じで、女性に対する敬意を込めた呼称だそうです。今回は、「女王様」としました。
ところで、クッキーの、「カントリーマアム」ってありますが、あれって、「田舎の女王様」って訳してもいいでしょうかね。

ライトなD/s




あちらのブログからです。あるミストレスKikaとそのパートナーのサブミッシブSpiritの大晦日のD/sセッションの記録です。
けっこうハードなプレイをしているカップルが多い中、このカップルはほほえましいほどライトなプレイをしています。私もどちらかというとこういう軽いものの方が親近感を持てます。
 
 
 
私はスピリットにとって忘れることのできない大晦日にしようと思いました。
私は彼に、首輪以外全裸になって、7時30分に、リビングで私を迎える姿勢で私を待つように言いました。
それの前に、私が準備をしている間、予備の寝室で扉を閉じて待っているように言い渡しました。 私は香のするローソクをともし、私の座る王座の椅子を中央に置きました。 もちろん、私の黒いコルセット、パンティー、黒いフィッシュネットストッキングとブーツを身につけました。 必要ならいつでもおもちゃを使えるようにしておきました。私は私の本能の赴くままにやろうと思いました。

常に従順なスピリットは、命じられた通り、待ちのポジションで私を待っていました。彼の目は驚きと愛で大きく見開かれていました。彼はこれから起こることに期待と同時に恐れを抱いていました。しかし、私への信頼は、その恐れを吹き飛ばしました。

私は私の王位、古風なブルゴーニュベルベットの木製のかぎつめ足の椅子に腰掛け、その前で跪くように彼に命じました。はじめはためらいがちでしたが、私のクロップに軽く数回叩かれると、すぐに言われたとおりにしました。 私は彼の足首を縛り、彼の手に手錠をかけ、椅子の背もたれの後ろから吊しました。 次に6本のつながった鎖で彼の足、胸、腕それにボールを縛りました。そのあと、彼は目隠しをされました。
私は、そのまま彼を放置して、部屋の反対側に行って彼の反応を見ていました。彼は自由になろうともがきながら、私の名を呼びました。彼の声はだんだん心細いものになってきました。でも、私は彼が思うよりずっとそばにいたのです。
私は羽毛を手に取って、そして彼の胸、胴体、乳首、腿、ボールとペニスの上にゆっくりと円を描きました。 すぐに起こった彼の反応はすてきでした。次に、私は彼の露出した肉を、私のむちで優しく叩き始めました。ムチは次第に強さを増していきます。私は、彼の腿の上にまたがって座りました。私の濡れた部分は彼の腿に密着しました。ムチが強くなるにつれて、彼のもがき、苦しむ声は切実なものになってきました。
なんとも信じられないような感覚ですが、彼は深くサブスペースに入っていったのです。 私は時折、目隠しをずらして、彼の目を見てからかいました。彼は、目隠しをしてくれるよう懇願しました。
彼のニップルをいたずらするのはおもしろかったです。 私は、乳首に洗濯ばさみをつけました。私は数ヶ月間、ここの敏感さを開発してきました。そして、彼は洗濯ばさみでつままれるのにもに耐えられるようになってきました。 ついでに、彼のボールにもいくつかぶら下げました。 私は洗濯ばさみを外しながら、羽根で彼の体をデリケートに撫で回しました。
そうするうちに彼は熱いものを噴出させてしまいました。 彼のペニスに少しも触れることなくいかせたことに、私はとても誇らしく思いました。
彼は完全なサブミッシブです。彼は幸せに包まれ、私を心から愛し、奉仕を希求しているかのようでした。

私はゆっくりと彼の拘束を解き、自由にしました。そして、彼を私の前でひざまずかせました。 私は今、王座に座っています。
こんどは彼が私へ奉仕する番です。口だけで奉仕するのです。 私は彼の頭を、彼の舌で私に奉仕できるところまで持ってきました。彼は今まで私に口唇奉仕して感じさせる方法を熱心に学び、身につけていました。 私はおおいに楽しみました。

これは私たちのすばらしい新年を告げる鐘でした。私たちがD/sを続けていこういう約束を確認しあった瞬間でした。

  
ペニスに触れずに男をいかせる-性器への刺激でなく、責められている、弄ばれているという心理的要素が大きく作用して射精に至るという意味で、ミストレスにとっては満足度が高いのでしょうね。やはり、SM、D/sというのは、心理的要素が大きい行為なのだと思います。

ゲイのはずだったのに



久々の体験談です。
ゲイの男性がサブミッシブになってしまうという・・・こんなこともあるんですね。

私の物語は幾分異常なものです。
いわゆる私はゲイです。
2年前に私は、高校時代から知っていた女性の友人と家を共有しました。 彼女にはジルという友人がいました。彼女は、よく私たちの家にやってきました。 我々は一緒に映画を見て、踊りに行って、一緒に外で夕食を食べました。彼女はまあ言わば3番目の同居人のようでした。
彼女は非常に美しくて、非常に自信に満ちあふれ、、そして断固としていました。 非常に高慢でした。 彼女は男性たちの心を波立たせました。 しかしながら私はロマンチックな意味で彼女に興味を持ってはいませんでした。彼女も私を相手にしませんでした。 彼女は常に、彼女を喜ばせて、彼女とデートして、そして彼女のために何でもしようとする男をはべらせていました。 そして彼女はいつも、誰とデーとしているのか、つきあってるのか、まるで開けっぴろげでした。 彼女はどんな男とつきあっても完全に満たされていないようでした。

ある夜我々の3人は外出しました。そして、彼女がどんな男でもものにできるかどうかという話題になりました。 私は彼女がおそらくゲイの男以外のどんな男でもものにできるだろうと言いました。 どういうわけかこれは彼女と私のルームメイトの間に賭けに変わりました。そして我々は彼女が私で実験しようと決定しました。

私はこれはいいと思いました。私は絶対に彼女に落とされないだろうと自身があったのです。
最初の数週間、我々の間で、あからさまな、あるいは控えめなやりとりがありました それはけっこう楽しめました。

彼女は私に、彼女の体と足にマッサージをさせようとしました。 そして、彼女と私がとっくみあいのようになったとき、すべてが変わってしまいました。 彼女は極めて強健なので、平凡な私は組み伏せられてしまっても驚くことではありません。しかし、何度もいとも簡単に押さえ付けられてしまうとは思っていませんでした。 彼女は私の腕を押さえ付けるか、私の胸の上に座るか、または腿の間に私の首を挟みつけてしまいます。 彼女はからかって、そして私を侮辱しつづけて、そして私の状態をチェックするために、私の股間に時折手を伸ばしました。 言うまでもなくそれはかなり屈辱的でした。
最後には、彼女はわたしの顔の上にまたがり、股間を私の顔の1インチほどのところに近づけました。 彼女はすごく興奮させられたと私に話しました。

暑かったです。そして我々は汗をかいていました。私は彼女のにおいをたっぷりとかぎました。彼女は私に、何かやってみたいことがあると話しました。彼女は私の顔に触れると、深く息を吸い込んで、彼女の話を聞くように言いました。 彼女はそれからゆっくりと、詳しく私に説明を始めたのです。彼女が私の顔に乗るということ。そしてオルガスムに至るまでリズミカルに私の顔に乗り続けるつもりだということを。 これに私は参ってしまったのです。 私は固くしてしまっている自分に気づきました。頭がぼーっとして夢を見ているかのようでした。 彼女のパンティーは、興奮で湿っていました、そして私はそれを舐めずにいられませんでした。 彼女は私に、ほんの少しストップするように言いました。彼女は立ち上がり、パンティーを脱いで、それから私の顔の上に座り直しましたから。 そのあとどうしたと思いますか?彼女は私にはとうとういかせてくれなかったのです。

すべてはとても奇妙な感じがします。
私は何カ月間もの間、彼女との友人でした。彼女は非常に面白い、そして時折いらいらさせる人でした。 そして私が彼女の美しさと性的魅力を称賛しているときでも、私は彼女に惹かれてはいませんでした。 私が思い出すことができる限り、ずっと、私は一度も女性たちに対して興味を持っていたことがありませんでした。 彼女に肉体的に支配されて、屈辱を味わわされる前では。
今の私は、彼女の取り巻きの男たちがなぜそれほど手玉にとられているかわかります。あれから今月でちょうど1年です。 彼女は2人の男とデートしますが、私もまだ彼女とデートすることができます。 明らかに我々の関係の性質は劇的に変わりました。 私はもう最初の頃のように、彼女と対等の関係ではあり得ません。 彼女は私に彼女の生活のいろいろな世話をさせます。 私はお使いをして、洗濯をきし、して、そして時折彼女のために料理もします。 そして私は幸せだとはいえないと思います。

振り返ると、この1年は私にとってショッキングでした。 私は幸せなゲイの男から、幸せなサブミッシブの執事 / お手伝い / コック / 恋人 / 買い物パートナー / 奴隷になってしまったのですから。
これっていいことなのでしょうか?

接待するメイド



前回のミストレスロクサーヌのインタビューの続きです。
その後、友だちを家に呼んで夫を辱めます。
なかなか魅力的なシチュエーションです。



私は私たちの家におけるこの間の日曜の午後のイベントについてあなたに話すでしょう。 私はに彼に、いきなりのメイドの衣装- 縫い目のあるストッキング、 ガーターベルト、4インチの黒いヒール - 仕事に着替えるように言いました。

夫が少し当惑しながらズボンを脱いでいるときに、私は、トレーシーと、2人の友人アンバーが来るから、早くしなさいと夫をせき立てました。
想像してみてください。彼の表情は見物でした! 私は、私たちのためにアペタイザーとワインを供するように彼に言いました。
トレイシーは、もちろん、パンティーをはいていることを知っていました。しかしそれ以上どこまで知っているのか、夫にはわかりませんでした。 彼がアンバーに会うのは2度目でした。だから彼女はなにも知らないと思っていました。
私は、彼が思いもよらぬことに、ガーターを止める指を震わせながらも、私に抗議しようとしさえしなかったことをうれしく思いました。(彼は、私が命じたとき以外、パンティーストッキングをはくことを許されません). 彼はとても緊張しているように見えたので、深呼吸をして落ち着きなさいと言いました。 私は彼がかわいそうになったので、彼に、トレイシーとアンバー両方とも、彼が私の弱虫坊やであることについて、すべて知っていたという真実を話しました。
夫は、それを知って気が楽になったと私に話し、元気になりました。 私は素晴らしい夫を抱きしめて、彼が、「パーティー」のために最高の装いを見せることができるよう、彼のストッキングの縫い目をまっすぐにするのを手伝いました。 (私はただこのように彼をからかうことが好きです!)

私たちの小さな社交的な集まりは素晴らしく盛り上がっていました。
私の「メイド」が、前菜トレーを持ってくるときにつまずきました。...
私はすぐに「違反」を宣言しました。 私は夫に「(懲戒の)ポジションをとる」ことを命じました。 私はトレイシーとアンバーがショーを楽しんでいたとわかりました。そしてこれは私を後押ししました。
夫が、彼の尻がさらされるように、彼の背中を弓なりに曲げて、四つんばいになって、ひざまずいていました。 私は私の友人たちのために見せびらかさずにいられませんでした。それで私は彼に(必ずしもここで必要ではないけれど、彼が好きな)言葉で辱めました。
トレイシーとアンバーの2人も、少しばかり彼にからかいの言葉を投げかけました。彼がよく言うことをきくことを褒めたり、彼がはいているストッキングがかわいいと言ったり。 私が彼の尻を赤く染める準備のために彼のパンティーを引き下ろしたとき、彼の奴隷の入れ墨 - それぞれ尻のふくらみにひとつずつ- は完全にみんなの前にさらされました。(それは私のガールフレンドを喜ばせました)。

夫にその姿勢をとらせながら、私は、ガールフレンドを寝室に案内しました。私は、芝居がかった大げさな振る舞いで隠しているカーテンを引き、私の道具のコレクションを見せました。 笑って話をしながら、、私は夫のために木製のパドルを選びました、 トレイシーとアンバーはバラムチと乗馬ムチを手に取って楽しんでいました。 しかし私は、彼女たちに今回の懲戒に参加させる気はありませんでした。
私たちは、夫が彼の運命を待ち受けているリビングルームに戻ってきました。 私は私の腕前を見せて、派手な音を響かせたいと思いました。しかし、私の大事な夫をあまり痛めつけすぎないようにしようとも思っていました。 私たちの習慣どおり。私の弱虫坊やは、(例えば)「25 - ありがとうございますミストレス -」と数えるように要求されました。
最後の一撃の後に、夫は(私の定めに従い)パドルにキスして、そして彼をしつけてくれたことに対して私に感謝しました。 (私の友人たちこれが大いに気に入っていました!!)

私は「コーナー !」と言いました。夫はの隣接したダイニングルームの隅へと素早く行きました。そしてそこで彼は壁紙に彼の鼻をついてひざまずきました。 彼のパンティーは部分的に下に下ろされたままでした。それで彼の赤い尻は(私はなぜそれがすごくエロチックに見えます)は丸見えでした。見えなかったけど、彼の顔も真っ赤だったはずです!
こうして、「すてきな時間の終了」、そして私の夫のトレーニングは飛躍的に進歩しました。辱められる彼は同時にすばらしい男でした。彼のすばらしいパフォーマンスに、私は後で称賛とキスの雨を降らせました。


リスクはあるのだけれど、他の誰かに見られる中で責められたり辱められたりするのって、あこがれのシチュエーションです。

「ピンク」



ミストレスロクサーヌのインタビューからです。
彼女は夫と24/7のFemDom生活を楽しんでいます。しかし、一部の人以外にはそのことは知らせていません。
友人のトレーシーに、そのことを教えることで、夫を大いに辱めています。
男のプライドを振りかざそうとした夫が、逆に完全に笑いものにされているところに興奮です。


私の若い友だちにトレイシーがいます。
彼女は非常に魅力的で、そしてはっきりしています。
私の夫は、私と夫の結婚生活の「特殊な部分」について、トレーシーは知らないと思っていました。
彼はそれを望んでいませんでした。
トレイシーは3年以上前に、私が彼にすべての「きたない」男性の肌着を棄てさせて、そして彼に「あなたはこれからパンティーをはくのよ。弱虫坊や」と、言ってやったことを知っています。 彼は抗議しようとしませんでした - 心の奥底に、彼の男性の誇りの痕跡が残っていたけれども、それは彼が欲したことだったのです。

私たちの3人は、ある日モールで昼食と買い物のために会いました。
夫はごく普通の男のように見えました、しかし彼は彼のズボンの下でパンティーをはいていました。 私たちは次に何をするか決めるためにモールの周りをぶらぶら歩いていました。そしてその時私は、夫が自制心を失っていたことに気付きました。 要するに、彼はトレイシーに「男らしく」振る舞ってみせようとしていたのです。それは彼女を誘惑しようとしていたわけではありません。彼は決してそんな勇気はないでしょう - しかし彼の行動は許せなかったです。私はこのナンセンスを大目に見る気はありませんでした。それで私は、彼が過去のバスケットボールの自慢話をしているのを遮って、質問しました。
「今日は何色?」
彼は話をするのをやめましたが、私の質問を聞いていなかったふりをしました。 私はそんなのもかまわず質問を繰り返しました。「いいかげんにしてちょうだい、ハニー。トレイシーと私は知りたいの。今日は何色?」
夫は、3度目の質問をさせるようなことになったら地獄を見ることを知っていました。 彼は赤面して、自分のくつを見ながら、そして、非常に小さな声で、「ピンクです。」と言いました。
トレイシーが、興味をそそられて、そして少し面白がっていいるので、私は彼により大きな声でこの答えを繰り返させることを楽しみました。 私は夫に少しだけ彼のシャツを持ち上げるように言いました。同時に私は、彼のベルトを抜き取ると、後ろ側のズボンを多分2あるいは3インチ下げました。
彼は一瞬ためらいました - 私たちは混雑したショッピングモールの中にいました - そして、私は彼の目をじっと見据えました
「トレーシーに、何について話をしているのか説明しなさい。今すぐ!」
夫は、指示されたように彼のシャツを持ち上げる以外に選択肢はなく、、そして素直に、私の非常にせんさく好きなガールフレンドに、彼のパンティーのピンクのレースのウエストバンドを見せました。 最初、私はトレイシーが爆笑するのではないかと思いました。しかし、彼女はこらえました。
トレイシーは長い間、私が家庭の中の「決定者」であって、権限を握っていることを知っていました。けれども、彼女は細かい内情は知りませんでした。彼女との今までの、人生、セックス、男についての話から、彼女の反応にはなにも心配していませんでした。しかし夫は違いました。

すぐにトレイシーは、「かわいいわ。」と、顔を真っ赤にした夫にいいました。「それ、ビクトリアズ・シークレット?」と、聞きました。
夫が静かに「はい」と、答えたとき、トレイシーはもう彼女自身を抑えることができませんでした。そして笑って「なんでこの間のハロウィーンの時、彼がチアリーダーの格好をしたのかわかったわ。」と言いました。 (私はその時彼の衣装を選んで、写真を撮って、家族の一部と友人たちに送ったのです。)
トレイシーの反応はすてきな効果を生みました。 夫はその日、昔のバスケットボールゲームについての退屈な話をもうしませんでした。


次回は続きを。

靴フェチ



今回は、きわめてオーソドックスなタイプのFemDom体験談を。
この夫は靴フェチで、完全に妻の奴隷になっています。普通のセックスは妻から許されていません。それでも、だいたい週に2回射精させてもらえるということですから、その点に関しては、この奥さん、比較的寛容だといえるかもしれません。ただ1点だけ、私はすごく興味をひかれた点がありました・・・



私たちの結婚は「女性至上主義」に基づいています。 私たちは18カ月前に結婚しました。そして私たちのから結婚式の夜、私は貞操器具を身につけました。そして我々にとってセックスの唯一の形は、私がいつも1日に2回のアンドレアに舌で触れることだけです。
彼女はバニラ性交に強固に反対しています。そして彼女は舌が男性の本当の生殖器であると言います。 これは間違っていません。彼女は女性であって、そして私より良く人生の現実を知っています。 そのかわり、もし私が週の間にとてもいい子にしていたなら、私は土曜日と日曜日の夜、1週間に2回、私自身のものを出すことができます。 私は彼女を満足させるために最善を尽くしますから、ほとんど毎週末そうすることができます。 これはいつも決まった手順で行われます。

寝る時間になると、彼女はただパンティー、ブラとハイヒールだけになって現われます。 彼女の女性の魅力は信じられないほどです。私はすぐにひざまずいて、そして彼女の足にキスします。 アンドレアは非常に美しくて、そして力強いので、私は、ひざまずきたい欲求に抗えません。 もし彼女が良い気分であるなら、アンドレアは私にしばらくの間彼女の足にキスをさせて、そしてなめさせます。そして次に、彼女のパンティーを脱ぐ前に、彼女は私に目隠しをします。 私はアンドレアの体に奉仕するときは、いつも目隠しをされるのです。
結婚して間もない頃、私は彼女の裸体を見ただけで、暴発事故(wet accident.)を起こしてしまったからです。
次に、彼女は私の足を縛ります。そして手を後ろ手に縛ります。 もちろん私はこの儀式のときは常に裸です。 私の手が安全に保たれるとき、彼女は貞操器具の錠を開けます。そして私はセックスしたくて勃起しています。

アンドレアは私の勃起を収めて、暴発事故を防ぐために、軽く私のボールをたたきます。 普通2発あるいは3発の痛い平手打ちで、柔らかくなるのに十分です。 この時、アンドレアは彼女の足から脱いだまだ暖かい彼女のくつの1つの中に私のペニスを滑らせます。 それから、彼女は彼女のストッキングで、それを縛り固定します。それが終わると、彼女は私をベッドにうつぶせに横たわらせます。私のペニスは勃起し、彼女のくついっぱいになります。 それから彼女は私をピシャリと打ち始めます。

彼女は大きいベルトあるいは彼女の室内履きを彼女の打つための道具として使用します。 ベルトは彼女の手にかかると、まるで殺傷兵器です。 彼女は彼女の手を使うことを好みません。そして彼女は spanker として非常に経験豊かです。 本当のことを言うと彼女はそれを「スパンキング」とは呼びません。「謙虚さと敬意を身につけるレッスン」と呼びます。 スパンキングの間に私は、私は彼女の暖かい靴に私のものを押しつけ、こすりつづけなくてはなりません。 私の尻に数発ヒットするだけで、私は彼女に慈悲を請い求めてしまいます。 彼女はまったく怒ることなしに、フィットネス運動をしているように、規則的に私をピシャリと打ちます。 私は数秒で涙ぐんでいます。信じられないことかもしれませんが、私は痛みのためにではなく、アンドレアによって打たれる喜びのために、赤ん坊のように叫びます。 私はこの感じをどう説明していいかわかりません。 私は彼女を非常に誇りに思っています、そして私は彼女の夫であることに深い幸福を感じます。 この感情は毎週高まっている気がします。

私たちが結婚して以来、彼女自身と同じぐらい彼女の靴と愛し合っています。結婚したての頃は、私はアンドレアと愛し合うことを望みました。
しかし私は彼女の規則を受け入れることを学びました。 私は彼女のくつと愛し合う機会の間、私のすべての心臓でもって彼女に感謝することを早い時期に学びました。 私の生殖器が彼女の暖かいくつの中に包まれる性的な喜びにもかかわらず、スパンキングはその喜びを減らしてしまうほど厳しいです。ですから、いくのには時間がかかります。 その瞬間の私の感情を説明することは難しいです。 私は同時に天国と地獄にいます。 私が彼女のくつでいってしまい、そして彼女がスパンキングしながら私をしかり終えると、スパンキングは終わります。 いった後で、彼女は私を落ち着け、女性への敬意について私に語り聞かせます。 それから私は、丁寧に彼女に感謝しなければなりません、そしてもし私が十分に敬意を表さないなら、彼女は私にもう1度の強打のラウンドを与えます。 それを避けるために、私はとても従順になり、そしてそれはもう最高の敬意を表します。 彼女が私の態度に満足すると、彼女は私のペニスを解放します、そして私はきれいに彼女のくつをなめなければなりません。 これが終わったら、再び私の貞操器具に閉じこめられる前、彼女は濡れた、そして冷たいタオルを使って私をきれいにします。
私が安全な状態になってしまったら、アンドレアは私の腕と足を解いて、そして私に報酬として彼女の足にキスして、そしてなめさせます。 そして次に、彼女が2度あるいは3度のオルガスムを得るまで、急いで彼女の腟に舌を這わせることが私の義務です。

わずか数回舌を這わせるだけで、私は自分を失います。世界が私の心は外界から離れ、そして私はただアンドレアを崇拝するために存在するだけです。 目隠しをして、ひざまずき、彼女のにおいをかいで、そして彼女を味わって、私の思いは数マイルを超えていきます。そして私はsubspace に没入していきます。 もし彼女が、「十分、もうけっこう!」と手で私の頭を軽くたたくことをしないならば、私は何時間も彼女をなめ続けることが可能です、そして私は天国に上る気持ちでいます。



「アンドレアは私の勃起を収めて、暴発事故を防ぐために、軽く私のボールをたたきます。 普通2発あるいは3発の痛い平手打ちで、柔らかくなるのに十分です。」
という部分、なんともすごいですね。
男の股間にぶら下がった痛みに敏感な2つのボール、これを暴発事故防止のための道具に使っているのですね。男性の肉体的弱点を女性が情け容赦なく使う、これに興奮してしまいました。でもいたいだろうなあ(笑)
あと、靴フェチの人にはたまらない話かもしれませんね。

引退後の生活



仕事もなくなって、夫婦2人で悠々自適の毎日を送れるなら、こういうのもいいですね。
Predominantのインタビューから抜粋です。


Predominant :あなたはどのように女性支配ライフスタイルに関わるようになったのですか?

Boss Lady: FemDom の私の最初の経験は、私の夫が1980年代初めから半ばに賃借したアダルトビデオに関することです。 私の夫は時々「ポルノ」を賃借したものでした。そして私たちは私たちの生活でロマンスをひき起こす方法として一緒にテープを見ました。 それはすべて彼の考えでした。しかし私は決して堅物ではなかったので、彼と一緒にこれらの映画を見ました。そして私たちはセックスを持ったものでした。 ある一本のビデオで、人物の1人が革の衣装を身につけた Dominatrixでした。そして彼女は主演の男性をむち打ちました。 私は彼女がブーツで彼を踏み潰し、彼女が彼を這い回らせ、そして家畜のように呻かせたことを覚えています。彼女は彼を犬の皿から食べさせました。そして彼女はもっとたくさん彼を辱めました。 それは FemDom 映画ではありませんでした。しかしそれは多分5分ぐらい続いた1つの場面でした。

私の夫はひとことも言いませんでした。しかし次の日、彼がビデオ店にテープを返しに行く前に、私は彼が再びそのシーンを見ているのを発見しました。
それは彼が見たテープ全体の唯一のシーンでした、そして彼は3、4回テープを巻き戻して、そして、彼がテープを返す前に、繰り返しその同じ現場を見たのだと思います
私はそれについて彼とどんな話をしたかくわしくは覚えていません。しかし私は彼にその場面が彼をその気にさせたかどうか尋ねました。 私はとても興味をひかれました。彼は非常にストレスが多い仕事をしていましたが、自分と同性が、女性によって辱められることを見て楽しむということにです。

我は々二人とも強烈な個性を持っている攻撃的な人間です。 彼の小さな告白の後に私に、私たちは寝室で若干の FemDom ゲームをし始めました。 私の夫は私に主導権をとるようすすめました。そして私たちは寝室でD&Sゲームをしました。 私は主導権を握ることが好きです。だから私はどちらかといえば、はやく女性支配に入り込めました。
私たちはローカルな BDSM グループ一度出席したこともあります。しかし私は感銘を受けませんでした。 非常に率直に言って、悪く思わないでほしいのですが、このグループの人たちは変態に見えたのです。 私はこんな言い方をするのはいやなのですが、そこの人たちのようになりたくはないと思いました。 そのために、30代後期と40代の大部分の間は、厳密には私の夫と女性支配の関係はなかったのです。

Predominant:あなたはいつ、単なるプレイから、女性の支配のライフスタイルに発展していったのですか。

Boss Lady:私の夫が彼の仕事をなくしたとき、私は私の空想を満たすことに決めました。 私は夫を女性化してかわいいメイドにしました。私は完全に彼を女性化させました。そして彼は私の家をきれいにして、そして私のために雑事をして彼の引退後の日々を過ごします。 彼はまったく庭的になりました。そして私はそれが気に入っています。

それはプロセスでした、彼を女性化するために、手間はかかりませんでした。私は私が私の支配と、彼に深い服従を強制する性的な力を使った方法を見いだしていきました。私ははじめ、彼に女性の洋服を着せて、がそこ(に・で)彼を持っていた途端に、私は女性の衣類を着て彼を女の子のようにさせて、家事をやらせ始めました
彼が女性のランジェリーを着けていたときだけ、私は彼とセックスをすることにしました。 私は彼に対していっそう支配的になり始めました。そして、彼に、私のためにすてきに、そして女らしく装わせ、彼にストラップオンディルドーを使い始めました。 私は彼の男性の衣類の大部分を捨てました。そして私は彼を婦人服だけを身につけてドレスアップさせました。 私は口では言えないほどパワフルでエキサイティングな感じがしました。 彼はとても男性的でした。そして彼は会社では部下の女性達に厳しく命令していました。それが、かわいい男の子メイドになってしまったのですから。 私は彼も同じようにこれを楽しんでいるのがわかります。彼は私のフルタイムの家庭奴隷としての、彼の新しい役割にとても満たされています。

サブスペースに導かれて



久々の体験談です。
「ややサブミッシブ」ぐらいの夫を、妻がぐいぐい本格的なサブミッシブの世界に引っ張っていくというちょっと珍しいパターンです。

私たちは、私の妻が私たちの結婚に女性の支配を導入したという点で、ほかの多くの人たちと少し異なっています。 彼女はアグレッシブな性格のビジネスウーマンです、しかし私たちは常50/50の公平な結婚生活を持っています。または55/45(私が55)であったかもしれません。

彼女はおよそ2年前にあなた(エリス・サットン)のサイトを見いだしました、そして、本が出版されたすぐ後に、彼女はあなたの本を買いました。 私は本当に彼女がどのようにあなたのサイトに出会ったかは知りません、しかし彼女はあなたのファンでした。 私は女性の支配について知っていました。しかし私はいわゆるはっきりとしたサブミッシブ男ではありません。 私は常に大胆な女性たちが好きでした。そして私は常に彼女のキャリアで私の妻を奨励しました。 けれども私は思春期からむちを持っている女性たちについて夢想した男性とは違いました。そして私は私自身をサブミッシブであると考えませんでした。

私の妻はあなたのサイトで女性の支配関係について読みました、そして彼女は彼女の内部で何かのスイッチが入ったと言います。 彼女は男性を支配する方法をいろいろと知ろうとしました。彼女が最初にこれを私と論じたとき、私は自分の独立を重んじますから、私が決して彼女に対してそのように屈服することなどできないといいました。 私はずっと1人でやってきました。そして私が寝室で倒錯的なプレイを試みることを許容し時も、私は彼女のサブミッシブになろうとは思いませんでした。 彼女が私以外に、だれか別のサブミッシブ男性を探したいと言い出したとき、私たちはもっともひどい言い争いをしました。 彼女が私に、それをしないと約束したとき、私は大いに喜びました。 私は私の妻には、性的な関係でなくとも別な男は作らせないつもりでいました。それは私のプライドでした。

妻は、女性の優越が正しいと言うことを私に説いて聞かせる代わりに、私に証明してみせると言いました。 彼女は週末こっそりと、都会の豪華なホテルを予約しました。 私たちは夕食を食べて、そしてセックスのために部屋に戻りました。 私は知らなかったのですが、この夜のセックスは普通のそれではありませんでした。

妻は私に、私が以前、寝室で倒錯的なことも試みてもいいと言ったことを思い出させました。そして彼女は、私をベッドの上に仰向けに縛り付けました。 彼女はバスルームに入って、そして火のように赤いローブを着ました。 彼女は革ブラジャーとパンティーを見せるために前を開きました。そして彼女はつま先がとがった、4あるいは5インチのヒールの、セクシーなくつをはいていました。 彼女はセクシーで素晴らしかったです。 彼女は1缶のひげそり用のクリーム1パックのかみそりを取り出しました。 彼女は次に、私のペニスとボールのすべての陰毛をそり落としました。。 彼女は私の腿と足、同様に私の胸毛と髪をそりました。 これはおそらく1時間を要しました。しかし、彼女がひげそり用の クリームがたっぷりとついた手で私のコックを繰り返ししごいたときは、たまらなくすてきでした。

私をそり終わったら、今度は羽毛の刷毛で、体中を刺激しました。 私は非常に興奮していました。 彼女は私の体のいたる所キスして、私の乳首をしゃぶって、そしてかんで、そして私をクライマックスのぎりぎりのところまで追い込みました。 それから彼女はベッドから私を解放して、そして、私が私のそられた体をよく見ることができるよう、大鏡の前までつれてきました。 私は自分自身の姿にショックを受けました。 こんな風に私自身が無毛であるのを見ることは奇妙でした。 私は、無防備にされた感じがしました。私は自分の裸にこんな風に感じたのは初めてでした。

妻は、私がもう男ではなく小さなぼうやだとからかい始めました。 彼女は、ツルツルになった私の肌をさすりながら、私がボーイッシュに見える、そして、私がめめしいぼうやに見えると言いました。 私は非常に興奮していたので、私は彼女にそんな風に言われても気になりませんでした。 もし彼女が性的でない雰囲気で私をこう呼んでいたなら、私は怒鳴り返していたことでしょう。 でも今回はちがいました。

妻はストッキングとシルクのパンティーを取り出しました。そして彼女は私にはいてほしいと言いました。 私は凍りついていました。 私は彼女に抵抗することができませんでした。私は言われたとおりにしました。 彼女はストッキングとパンティーをはく私に手を貸して、そして鏡の前で、私の前も後ろも映し出させました。 彼女は、私がただのぼうやであるだけでなく、かわいい女の子でもあるとからかいました。 彼女は私をいっそう魅惑的な呼び方をしました。 彼女は私を彼女の小さい「めめしいぼうや」、彼女の「パンティ奴隷」彼女の「女装した淫乱ちゃん」と呼びました。 私はすっかり私たちがしていたことにショックを受けました。しかし私は同時にすっかり興奮させられていました。私は彼女に抵抗することができませんでした。 彼女はそれほどパワフルで、そして信じられないほどにセクシーでした。

次に、彼女はベッドに腰を下ろすと、私にうつぶせにひざの上に乗るように言いました。 彼女は、私の尻のパンティをまくり下ろしました。 彼女は持って来ていた革パドルを取り出しました、そして彼女は私にスパンキングを与えました。 彼女ははじめは軽く、そしてまもなく力を入れ出しました。 私はもがきました。彼女は手で私のナイロンに覆われた尻を優しく愛撫して、そして、また、パドルで鋭い強打を与えました。それを繰り返し行いました。 それはひどく痛くて、同時にひどくエロチックでした。 何かが私に起こっていました。 私は自分がされていることを楽しんでいました。 私は私の妻に対して弱い立場にいることを楽しんでいました。 私は無防備にさらされていて、そして攻撃されやすく感じました。そして私はそれが好きでした。私の棺桶の最後の釘を打ち付ける用意をするために、妻はバスルームに戻りました。 私はベッドにうつむいたままでした。私の中では、心が激しく波打った状態と、穏やかな落ち着いた気持ちが交互に繰り返していました。 あなたの本を読んだ後で、私はその時、subspace の中での私の最初の特異な経験であったことがわかりました。 それはすばらしい世界でした。

妻がローブの前をはだけた状態でバスルームから出てきました。 彼女のウエストからは、ほっそりした黒いペニスが突き出していました。 まだこの時の私はこれを受け入れるほどのsubspace にはありませんでした。 私はサブミッシブの状態になってはいましたが、私は静かに彼女に、それはしないよう懇願しました。 彼女はただストラップ -オンを私の前に出して見せて、微笑みながら潤滑油を塗りました。

彼女は2つの枕をとって、そしてそれらをベッドに置いて、そして、ソフトな、誘惑的な声で、私に、そこの上にペニスをのせて横たわるよう命じました。 彼女はゴムグラブをして、そして私の肛門の中に潤滑油を塗りました。 彼女がはまた「かわいい淫乱ちゃん」と「めめしいぼうや」とわたしに言いながら、指で私をまさぐりました。 彼女は指を引っ込めると、ベッドの上に乗り、ひざで私の足を押し広げました。 彼女は私の尻を持ち上げ、私の肩をマットレスに押しつけました。 彼女は私の尻の中にディルドーを挿入しました。私は恐くなり、抵抗しようとしましたが、何も言えませんでした。 彼女は潤滑油を塗られた私のアナルにディルドーを滑り込ませました。彼女は私にファックしたのです。 それは最初痛かったです。私はマットレスに埋まりながら泣き言を言いました。、しかし、彼女は私にただリラックスするようにと言うばかりでした。私はそうしました、そして私がすべての抵抗をあきらめたとき、痛みは止まりました。そしてディルドーは容易に押し込まれました。 私の妻がゆっくりとしたリズムでディルドーを私の中に突いたり引いたりし出したら、私は彼女のヒップに征服されたように感じました。 彼女は私の手首をつかんで後ろからディルドーを押し込んでくると、彼女のレザーのブラに私の背中を包まれている感じがよかったです。後ろからピストンのようにディルドーで突かれ続けていると、彼女の囚われ人になってしまったような気分でした。 私は subspace の中にどんどん深く入っていきました。

最後には、彼女は私を解放して、そしてディルドーを抜き取りました。彼女はハーネスを外すと、ブラジャーとパンティーを脱ぎました。そして、ベッドの上に座ると、私をベッドの下に追いやりました。 彼女は私に、口と舌だけを使って彼女の体に奉仕することを命じました。 彼女が私に命令したとき、彼女は本当に私を「ぼうや」と呼びました。

私は彼女が愛おしく感じました、そして私は彼女の体に奉仕しました。私は正直にいって、女性を楽しませるということが何なのか、初めて知った気がします。 私のすべての焦点は私の妻と彼女の体に注がれました。私が、私の口で彼女のプッシーを愛したとき、彼女は全身で、繰り返しオルガスムを味わっていました。時間が止まったようでした。

もはや私たちの関係は決して以前と同じではありませんでした。 彼女はその夜から主導権を握りました、そして私は喜んで彼女に従います。 私はもう元に戻ろうとは思いません。決してよいサブミッシブとは言えないかもしれません。しかし、彼女は週1度調教セッションを持ち、私の態度を改めさせます。

私は今、家事の大部分をします。彼女は家計を管理します。決定をするのは彼女です。そして私は彼女に仕えるために存在します。 彼女は私の王妃です。そして私は彼女の使用人であることが好きで、そして奴隷のように働きます。 私たちは、まだ彼女が望むところまで来ていません。でも、私たちはいずれそこに行くでしょう。そして、彼女は私の進歩をとても喜んでいます。

相乗効果



体験談、というか、インタビュー記事です。
ミストレスリリーが、彼女の夫との間で、どのようにドミナントとして花開いたかが語られます。
多くのミストレス同様、始まりはパートナーの希望、パートナーを満たしてあげたいという愛情から支配者ロールに入っていきます。
しかし、同時にドミナとしての歓びを見いだしていき、それでさらに深いDs関係に踏み込むことになり、それが夫を深く満たすことにもなります。
いい相乗効果と言ってもいいでしょうね。



インタビュア:あなたはどのようにD&Sに入っていったのですか?

リリー:スティーブは倒錯的な面を持っていました。 私はD&Sについて何も知りませんでした、そして本当に彼もそれはやろうとしませんでした。彼は空想を持っていました。しかし彼はD&Sの世界についての多くを知りませんでした。 私の夫は(今まで)常に私に何でも打ち明けてきました。そして私は彼がフェティッシュウエアとS&Mイメージの女性たちに魅惑を感じていることを知っていました。 私はバニラの世界で私が満足していたとき、これらには興味を持っていませんでした。 しかしながら、私たちの性生活は活気を失い始めていました。そして私は私の性生活がたった5、6年で退屈で空虚なものになってしまうことを望みませんでした。 そのために私は、夫と一緒にD&Sの世界に踏み込んでみようと決心しました。

私たちがいたビジネス(彼は同じく広告で働きます)にあって、私たちはフェティッシュパーティーについて知っていました。 私たちはパーティーに出席しました。そしてそこで私たちは地元の BDSM愛好グループを知りました。 私たちはミーティングに出席しました、そして私はそれが誰かに知られてしまうのではないかと、ちょっと不安でした。 そこで、偽名を使いました。 私たちはレギュラーではありませんでした。

信じられないかもしれませんが、私は最初サブミッシブでした。拘束されることを楽しみました。 私が試みた最初の活動はロープ奴隷の身分に置かれることでした。 私たちはプレーパーティーに出席しました。その時、男がロープ奴隷の身分になるボランティアを必要としました。 彼が私のところにやって来て、そして尋ねました。私は同意しました。そして彼は私をロープで複雑に縛りました。私はその感じが好きでした。それは私が空中に浮いているかのようにでした。 従って、私たちは私がサブミッシブであるに違いないと考えました。私の夫はドムであろうとしました。しかし、彼は惨めに失敗しました。彼の空想の大部分が支配的な女性たちについてであり、そしてそのうえ、私が彼に従おうとしてもうまくいきませんでした。私たちは6年間結婚していました。そして私は彼をあまりにもよく知っていました。

私たちがこれらのパーティーに行ったとき、私たちは交互に役割を切り替えました。 彼は私をロープで拘束する方法を学びました、そして私は彼を縛り付ける方法と彼の尻をピシャリと打つ方法を学びました。 私たちは決してヘビーなプレーヤーではありませんでした。 私たちは軽い程度にそれをしました。そして私たちはただ1年に数回のイベントに参加しただけでした。 けれどもそれは私たちの性生活の中にスパイスを持って来ました、そしてそれは実はゴールでした。

インタビュア:あなたはいつフルタイムのドミナントになろうと決めたのですか?

リリー:私たちがだんだん試していくうちに、私が支配的であることが自然であるという結論に到達しました。 拘束以外に、私はサブミッシブ活動を楽しみませんでした。 私はピシャリと打たれることが嫌いでした。 私は1度は試しましたが、二度としませんでした。私は5歳のころから、ピシャリと打たれることが嫌いでした。逆に、私は男をピシャリと打つことが好きです。 私は夫をピシャリと打つことが好きです。そして彼はピシャリと打たれることが好きです。 私たちがこれらの認識に到達したのは様々な試みを通してでした。 私たちがいろいろなことを試みるほど、それだけ私がもっと私が主導権を握ることを楽しんだことを悟りました。

インタビュア:実生活ではどうなりましたか?

リリー:寝室で、彼を支配して、拘束し、スパンキングするようになってから、少しずつ、実生活でも受け身で従順になってきたことに気づきました。 私は、家でもそして私の仕事でも、次第に主導権を握るようになり、気分良くなりました。スティーブは私と口論することが少なくなりました。そして彼は私の意見と意志決定に従いました。 私はそれがすてきなことでした。そしてこれは私は支配的になることいっそうを望むようになりました。 最終的には、私は普通の支配的な女性以上になりました。 私の新しく見いだされた力は、私を女性支配の強固な信者にしました。 私が一度支配権を握ると、それは自然なことに思われました、そして私は女性の優越を信じるようになりました。

インタビュア:これらはあなたの性生活にどのような影響を与えましたか?

リリー:D&Sが私たちの性生活を変えました。 それは素晴らしかったです。 挿入のセックスは影を潜めましたが、違った形の官能的なセックスに魅了されました。私は女体崇拝させるのが好きです。そしてD&Sは結局は FemDom になりました。 私たちのすべてのセックスは女性の支配を中心に回り始めました。 私は彼が足マッサージ、そのほかマッサージとたくさんの cunnilingus と女体崇拝で私を満足させるようにするでしょう。

おそらく最も重要な出来事は私が私たちの性生活にストラップ-オン を導入した時でした。 それはすべてを変えました。

インタビュア:ストラップオンプレーはどのようにあなたの性生活を変えましたか?

リリー:私がストラップ -オンで彼を攻め始めたとたんに、夫は私に対して非常に従順になりました。 彼の男性のエゴは次第に消えました。 彼ははとてもサブミッシブになりました。私はそれが気に入りました。私は同時にストラップ-オンで彼を攻めるのが好きでした。私は、私が初めてストラップオンプレーを試みた時、死ぬのではないかと心配したのを覚えています。それは恐ろしかったです。 彼は痛がってうめきました。その角度でディルドーを受け入れるのは無理だと泣き言を言いました。ベッドがあまりにも低いために、私はひざを曲げ、かがまなければならなかったので、ひざはとても痛かったです。私はいつでもやめる準備ができていました。しかし私はあきらめませんでした。やり通す決意を持っていました。

最後には、私は彼の中にディルドーを滑り込ませ、彼も落ち着き、私は彼とセックスし始めました。 それは素晴らしい経験で、自分の中で力がこみ上げてきました。 私は支配に取りつかれていました、そして私は自身のコックを持っている男とセックスする感じが好きでした。 私の夫は私の目の前で、おとなしく従順で、そして受動的になりました。 彼は文字通りに従順な、小さな少年になりました。

後に、私自身にも歓びをもたらす双頭ディルドーを見いだしました。 それは少なくとも、週に1度の活動になりました。 私は夫に、私がしゃがまなくともストラップオンで彼をファックできるような高さの台を作らせました。 彼はそれを厚いビニール詰め物で覆いました、そしてそれは完ぺきでした。 それは手首、足首を拘束できるようになっていましたし、ストラップオンプレー以外の拘束にも使えました。 私はこの装置の上に、彼を足を持ち上げたポジションで拘束します。そして、私の思うままに、長く、激しく、ストラップオンで彼を攻めまくるのです。 私は彼を、より大きく、太いディルドーで攻めます。これが私の大好きなD&Sプレーになりました。

インタビュア:そして頻繁な strap-on セッションは、あなたの関係をどのように変えましたか?

リリー:興味深いのは、私の夫が性交に興味を失い始めたということです。 私たちはさほど頻繁にやっていたわけではありませんが、彼はそのたびに失敗するようになりました。 彼は非常にサブミッシブにあることに慣れたので、彼は支配的な役割には入れなくなっていたのです。彼の心の中では、性交は女性を支配する役割と感じていたのです。 幾度ものStrap-onプレーが、彼の精神を変えたのです。彼は挿入されることを好みました。 彼はもう女性に挿入することで歓びを感じませんでした。

インタビュア:それであなたはどうしたのですか。

リリー:私は私が(すでに)私たちのD&Sグループで会っていた他の支配的な女性たちと一緒にこれを話し合いました、そして彼女らは私に、これが自然な結果であり、プロセスだと言いました。 彼女らは、彼を女性化し、そして彼を貞操装置に置くことによって、私に彼のトレーニングを向上させるよう奨励しました。 私はその両方をしました。そしてそれは正しかったです。これは私に対して、彼をさらにいっそう従順にしました。 私たちは女性化は行いませんでした。しかし私は彼にパンティーをはくよう要求しました、そして今もそうしています。 しかしながら、貞操装置は本当に私たちを新しいレベルのFemDomに連れて行きました。 私が貞操装置に彼を閉じこめた途端に、彼は私の手の中の粘土になりました。

彼は最初貞操器具に順応しませんでした、彼はボールが青くなることについて不平を言いました。そして貞操装置が彼のペニスを締めつけていました。それで私が貞操装置に閉じ込められることに彼を次第に慣らさなければなりませんでした。そして彼は泣き言を言いました。



ここでもストラップオンプレーをするようになると立たなくなるということがいわれています。
気持ちわかるな。

女性化トレーニング



夫を女性化させてトレーニングするという体験談です。
私なんかは、顔も体型も女性的じゃないから、無理です。


私が初めて私の夫に会ったとき、私は27歳でした。そして彼は19歳でした。 私は若い男性が好きでしたがアンドリューはその中でも最高でした。なぜなら彼は、私を喜ばすために労を惜しまなかったからです。 1年半前に、私たちは結婚しました。

結婚式の数カ月後に、私は親友メリッサから週末の会議出席の場で、電話メッセージを受け取りました。彼女は私に、私が不在であった間に、アンドリューが彼女を「コーヒーを飲まないかと」私たちのアパートに招待して、彼が男性的に彼女に言い寄っていたということを知らせてくれたのです。 メリッサは、彼に、自制を促し、そのまま彼女の家に戻ったといいます。

私は控え目な言い方をすれば裏切られたと感じました。 しかしながら、私は涙を流す気にはなりませんでした。

私は彼を罰して、そして彼に女性たちに仕える作法を教えようと考えました。 私は女性の友人が1度、アンドリューを見て、メーキャップして女性の服を着れば女の子として通用するんじゃないかしらと言ったのを思い出しました。 彼はその時、恥ずかしそうにしていました。そして彼の顔は真っ赤にしていました。

これにヒントを得て、私はもっと情報を集めようと、ウェブサーフィンしました。 私は情報を集め、実行計画を立てました。

私はアンドリューと会うと、メリッサが私に話していたことを繰り返しました。 私は謝罪を要求して、そして私が彼にメリッサと私自身と他の女性たちへの敬意を示すことを教えるために、厳しく彼を罰するであろうと言いました。 彼はひざまずき、そして涙を流しながら丁寧な謝罪を申し出ました。 私は自分自身が激しく興奮しているのに気づきました!

次の2日間で、私はショッピングに行って、そして私自身のために黒い革スカートとピンヒールのブーツを、そしてアンドリューのために完ぺきな衣装を購入しました。

私は家に帰って、そしてアンドリューに、私が決めた時、私が思うとおりに、しばらく彼を罰するであろうと言いました。 数日後に、私は午前5時00分にアンドリューを起こしました。 私が寝装具を放り出して、そしてカーテンを開いたとき、彼はまだぐっすりと眠っていました。 私はベッドから彼をたたき出して、彼にシャワーを浴びて、そしてひげをそって、服を着て、そして私の朝食を出すように言いました。 彼はそれから彼自身軽い朝食を用意して、そして私にあわ風呂を用意しました。

彼は私を入浴させて、そして私を拭き、乾かしました。 彼は興奮していました、そして彼は私を優しく撫で始めました、しかし私は彼にそれをストップさせました。 私は自信を深めました。私は彼の瞳の中を見つめて、そして私が言った言葉を彼に繰り返させました。「私は、彼女の許可なしで、私の愛しい妻、イングリッドに触れてはなりません。」 彼がこれらの言葉を繰り返した間に、彼の顔は赤くなりました。そして彼の声はわずかに震えていました。

彼はそれから私が服を着るのを手伝いました。 私が私のメーキャップをしている間に、彼は私のブーツとスカートについてコメントしました。そこで、私は彼に、私が何か言っていいというまで、静かにしているように言いました。 彼は異議を唱え始めました。そこで私は、ただ彼に誰が今、権限を握っているのかを思い出させるために、顔に平手打ちを加えました。続いて反対側の頬にも。 彼はぼう然としているうさぎのようでした。私は少し楽しくなりました。

私は彼に服を脱いで、私の鏡台に座るように言いました。 私は鏡にカバーをして、ポニーテールに彼の髪をとかして、そして大きい白いリボンでそれを結びました。 私は彼のアイシャドウ、ライナー、マスカラ、 blusher と口紅、をつけて、それから彼の指の爪と足の爪にニスを塗りました。

私は彼に、ぴったりとフィットするピンクに白いフリルのついたひもパンティを渡しました。そして彼にそれらをはくように言いました。 彼のひざはがくがくと震えていました。

続いて、それに合わせたブラとサスペンダーベルト、それから、長いナイロンストッキングと白いサンダルをはかせました。 私はピンクのレース飾りを髪に飾り、彼の首の回りに首輪をつけました。

私は、白いサテンの、「トレーニング」コルセットにピンクのレース飾りを取り付けることを楽しみました。 コルセットが「使い慣らされて」、そして彼のトレーニングを通じて数週間にわたって次第に締められるにしたがって、私はあまりにもタイトなレース飾りをつけなくなりました。 白いフリル付きのペチコートとピンクのレース製のドレスが女装を完成させました。

私が予期したとおり、アンドリューは抵抗せず、すんなりと私の指示に従いました。 私は彼のペニスを撫でて、勃起させました。 私はそれから彼に、小またでかわいらしい歩き方で私の前まで来て立つように言いました。 ブラが形作るバストが女性らしい輪郭を与えていました。カーペットを横切ったときにちょっとよろめいたとき、それは本物のように揺れました。

彼、いや、彼女は赤くなり、それがよけいに魅力的に見せました。

アンドリューを、女性のように歩かせ、そして話をするように訓練すると思うと、それだけで興奮してきました。 私は、男性としてでなく、少女として着飾られる彼を見ることで「その気にさせられて」いるのに気づきました。私は生来バイセクシュアルなので、さほど驚いたことではありませんでした。 私は全身が映る鏡の前に彼を立たせて、彼の反応を見ました。 彼は彼は下を向いていたので、まっすぐ前を見るよう言いました。

「なんてかわいい女の子なの。」私は微笑しました。 「今から、私たちはあなたをアンナベルと呼ぶからね。」

「アンナベルは真っ赤になりました。それはさらに彼女を魅力的にしました。」 私はボールに手を伸ばすと、私の女性化された夫をさらに辱めました。

「アンナベル、どう?気に入った?」

彼女は小声で「はい」と、うなずきました

「はい、何ですか、アンナベル?」

「はい、ありがとうございます、イングリッド。」

「聞こえないわ。もっと大きな声で。」

「はい、ありがとうございます、イングリッド。」

これまでの数カ月で、 アンナベルはどんどんサブミッシブに、そして従順になりました。友達と外出した時など、昔のアンドリューがかすかに残されました。

私は、特別な時以外、もう性交を許しません。 アンナベルは、かなり大きいペニスを持っています。それは装着されたハーネスの穴に通され、ディルドーとして扱われます。 私は、彼女のペニスを彼女のディルドーと呼びます。 「アンナベル、あなたなんて大きいディルドーをつけているの!」 私は(性交では)常に上位にいます、そして私は決して私の中ではオルガスムを許しません。

アンナベルはさらにがさらにいっそうサブミッシブになっていき、そしてさらに私の楽しみのために彼女を辱めます - 時々、私の前に立たせるか、あるいはカーペットの上に横たわらせて、自慰をするのを眺めて楽しみます。 そして、彼女は私の命じたことはどんなことでもします。いい子にしていたならば、私は彼女のパンティの中にイクことを許します。

私はアンナベルにクンニリングスのしかたを教えています。 彼女はものすごく速く、私の喜ばせ方を習得しています。なぜならば、うまくできないときは、革ひものきついお仕置きが6発おしりにお見舞いされるからです。 私は肘掛け椅子に深く座るか、あるいはベッドに横になって彼女の肩の上にまたがるのが好きです。彼女が私の唇とクリットに舌で奉仕する間、革ひもと乗馬ムチを用意しておきます。 私は普通、3度はオルガスムを味わわせることを求めます。時にはそれ以上。私の気分次第です。

私は今、私の夫 / 妻を服従と屈辱の次のステージに連れて行きたいです。 ちょっと変わっているけれども、私は寝取られ男にすることを考えています。

私がアンドリューと結婚する前に、メリッサはすでに夫を彼女から切り離していました。 彼女と私は時々ベッドを共にします。そして私たちは多くの時、一緒に愛し合いました。 私たちはお互いにキスしあって、そしてまだお互いが魅力的であることを見いだします。

私がアンドリューの変身についてメリッサに話したけれども、彼女は一度も彼が少女のように着飾られるのを見たことがありませんでした。 私たちが会うときは、いつでも常にアンドリューとしてでした。アンナベルではありませんでした。

私は計画をたてました。私自身とアンドリューとで夕食前の飲み物のために彼女を招待し、その後、彼女と私で一緒に夕食を食べに出掛けます。 私たちがいなくなっている間に、私の事前の指示で、アンドリューが彼自身をアンナベル変わって私たちの帰りを待つのです。

メリッサと私はこの考えを話し合いました、そして私たち二人ともは興奮してきました。 メリッサと私が一緒にソファーの上でくつろぐ間、にうまくこなす間に、アンナベルに飲み物を出させながら、辱めていくのです。

私は最近 アンナベルのトレーニングにストラップオンプレイを取り入れました。さらに、メリッサにも服従させることで、彼女をもっと辱めたいです。


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kaisub

Author:kaisub
既婚のサブミッシブ(M)男性です。

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